物言わぬcomma

Almost anything you do will be insignificant, but you must do it. We do these things not to change the world, but so that the world will not change us.

日本学術会議の問題に関する簡単な論点整理

次から次へと「小説の中のような」出来事が起こる毎日である。菅政権が日本学術会議の会員の任命の一部を拒否した問題が、連日報道を賑わせている。早くも、論点ずらし、論点のすり替え、デマ、プロパガンダの類が溢れかえっている。ここでは、自分の備忘録のために、簡単ではあるが論点を整理したい。

まず、1つ目の論点である。

 

     1. 今回の任命拒否の問題は、法解釈の観点から適切なのか

  • 日本学術会議法第7条に記載されている、内閣総理大臣の任命権は、形式的な任命権なのか、実質的な任命権なのか。
  • 今回の任命拒否は、1983年の中曽根首相(当時)の答弁との整合性が取れるのか。

日本学術会議法第7条*1には、「会員は、第十七条の規定による推薦に基づいて、内閣総理大臣が任命する」とある。この「任命」が、日本学術会議により推薦された会員候補を任命するだけなのか(=形式的な任命権)、推薦された会員候補に対して内閣総理大臣が何らかの理由で任命を拒否すること(=実質的な任命権)も含むのか、が1番の問題である。

この点に関しては、1983年に中曽根首相(当時)が形式的な任命であると明言している。今回の菅政権による任命拒否は、実質的な任命権があるものとして行動しているが、中曽根首相の答弁と整合性が取れていない。

よって、1. の論点について、i) 実質的任命権があると解釈しているのか、ii) とすれば1983年から現在までの間でいつ、どのように法解釈を変更したのか、iii) いかなる理由で6名の任命を拒否したのか、といった点の「明確な」説明が菅政権には求められている。

次に、論点の2つ目である。

 

   2. 日本学術会議のあり方について

  • 10億円もの国費を投入して会議を運営することの是非
  • 2017年に日本学術会議が発表した軍事研究に関する声明の是非

この論点は、政権を擁護する側の人間から出されたものである。例えば、国費を投入して日本学術会議を運営することに意味があるのか、その国費に見合うだけの活動をしているのか、といった点である。また、2017年に日本学術会議が発表した軍事研究に関する声明の是非についても、様々な意見があがっている。 

ここで重要なのは、「論点1.と論点2.は分けて考える」という点である。この点を明確に意識しないと、まっとうな議論にはならない。両者を混同した意見として、例えば以下のようなものが散見される。

  • そもそも日本学術会議は偉そうな学者たちの集まりで、10億円も国費を投入して利権を得ているんじゃないの?2017年には軍事研究に関する声明を出しているし、左寄りの組織で国益に反している。また、任命拒否された6名は政権批判もしている。
  • だから、任命拒否は当然でしょ。

上記のような意見は、i) 日本学術会議のあり方を批判することで、ii) 法解釈の観点から疑問のある菅政権の任命拒否を擁護する、という構造を持っている。ここで注意して欲しい点がある。日本学術会議のあり方に問題があったとしても、それは今回の菅政権の行動を正当化することにはならない。両者の問題は分けて考える必要がある。

仮に、腐敗した組織Aが存在するとする。このAに対して、何らかの是正を行いたいとする。その場合、是正を行う組織Bは、正当な手段Cによって是正を行わなければならない。不当な手段Dによって是正を行うことは正しくない。どれだけ組織Aが腐敗していたとしても、である。

報道を見ていると、政権を擁護したい"小金稼ぎのコメンテーター"たちが、ことさらに論点2. を強調しているように思える。こうすることによって、任命拒否が正当化されるよう世論を誘導したいのであろう。もちろん、日本学術会議のあり方については検証が必要である(実際、どのような組織かは釈然としない)。しかし、論点1. についてもきちんと検証しなければならない。時の権力者が、曖昧な法解釈で、理由が明確でない恣意的な人事を行ってよいはずがない。再度繰り返すが、論点1.と論点2.は分けて考えなければならない。

*1:日本学術会議法については以下のリンクを参照:

http://www.scj.go.jp/ja/scj/kisoku/01.pdf