吉田徹(2009)『二大政党制批判論:もうひとつのデモクラシーへ』
自分がある程度意識的に政治関連の報道を見るようになった2001年頃(小泉内閣スタートのあたり)から民主党政権誕生のころまでの間に, 報道を通じて漠然と抱くようになった政治に関する4つの「イメージ」がある.
- 中選挙区制は政治資金問題の温床になる好ましくない選挙制度である.
- 政治資金問題が起きにくいとされる小選挙区比例代表並立制は優れた制度である.
- 小選挙区比例代表並立制のもと,二大政党が確立されることが望ましい.
- 二大政党制のもと,定期的に政権交代が起こることが望ましい.
第二次安倍政権下の自民党一強支配,官邸主導の政治の負の側面に関する報道を目にするようになるまで,1. から 4. は自明のものだと思っていたし,特に間違っている可能性があるとは思っていなかった.
そんな中,吉田徹氏が昨年出版した『アフターリベラル』をきっかけに氏の著作に興味を持ち,吉田徹(2009)『二大政党制批判論:もうひとつのデモクラシーへ』を読んだ. 上述した 1. から 4. が1990年代初頭までの"政治改革"によって作られたイメージでもあり, 日本の現行の選挙制度等を相対化するきっかけになる本であった.
ファクトチェックに関する諸問題
はじめに
先日より大阪維新の会が公式 Twitter アカウントによって行いはじめた "ファクトチェック"を取り上げる*1.正直なところ,悪い意味で想像を超えたものであった. すでにSNS上では批判の声が上がっているが,ここではこの公式アカウントがファクトチェックの定義,原則を満たしていないことについて述べる. この他にも,政党がファクトチェックを行うことの危険性, 一般人の方のTweetを引用することの危険性等,たくさんの問題がある(むしろこれらのほうが問題である). これらについては別の機会があれば議論したい.
いきさつ
大阪維新の会が先日より,公式 Twitter アカウントを用いて"ファクトチェック" をはじめた.このアカウントによれば,"ファクトチェック" の目的は以下である.
大阪維新の会では、昨今の深刻化するデマ情報の氾濫を受け、住民の皆様に正しい情報を知っていただけるよう情報の真偽を客観的事実をもとに調査し、事実を発信していく公式アカウントを開設しました。 SNS上で、見過ごせないデマや誤情報等御座いましたら情報提供ください。
このアカウントが開設された後,大阪維新の会の代表である吉村氏がその意図を会見で述べている.以下の動画の11:50 あたりからが該当するやり取りである.
この会見のうち,"ファクトチェック"に関する発言を取り上げたデイリースポーツの記事から,吉村氏の発言を引用する.
デイリースポーツの記事より吉村氏の会見での発言を引用
ネット上のデマが出回る傾向が強い。特に“維新憎し”でいろんなデマが匿名で出回る。それがリツイートされたり、拡散されて、あたかも本当かのように情報が出回ってしまう。これはよくないと思う。僕自身が個別で“これデマですよ”と言い出したら仕事が成り立たないんで、僕はやってないが、大阪維新の会という組織でみたときにはデマ情報に対してきちんと対応すべきじゃないかと考えた。組織として対応していこうという判断.
「維新憎し」という言葉に,吉村氏や大阪維新の会の負の側面が如実にあらわれている.この点はさておき,大阪維新の会により発信されるデマや大阪維新の会を批判するためのデマが出回っているのは事実であるし,デマは望ましくない.
ファクトチェックとは
ここで,そもそもファクトチェックとは何かについて確認したい.筆者が知りうる限り,日本で最も有名なファクトチェックを行う団体であるFIJのHPより,ファクトチェックに関する記述を引用する.
ファクトチェックの定義
公開された言説のうち、客観的に検証可能な事実について言及した事項に限定して真実性・正確性を検証し、その結果を発表する営み.
https://fij.info/introduction/basic/
ファクトチェックの原則
ファクトチェックは、特定の主義・主張や党派・集団等を擁護、あるいは批判する目的で行うものではありません。「非党派性・公正性」ーーこれは、国際標準のファクトチェック原則であるIFCNファクトチェック綱領において最も重要な考え方です。
重要なのは,2つ目のファクトチェックの原則である.「非党派性・公正性」が原則であるし,ファクトチェックは特定の主義・主張,党派・集団などの擁護や批判を行うことが目的ではない.
公式ファクトチェッカーの問題点1
1つ目の問題点は,先程見たファクトチェックの原則を大阪維新の会の"ファクトチェック"が破っている点である.非党派性や公正性を担保しなければならないのに,地域政党である大阪維新の会がファクトチェックを行うことがそもそもおかしいのである.
ここで,大阪維新の会の公式アカウントはファクトチェッカーと述べており,ファクトチェックという言葉は使っていない.ここから,本来の意味でのファクトチェックを行っているのではない,と大阪維新の会は考えているのかもしれない.そうであれば, 公式アカウント名を「ファクトチェッカー」という本来の意味でのファクトチェックを連想させるものから,他の適切な名称に変更する必要がある.
ここで,「じゃあ大阪維新の会はデマに反論する機会すらないのか」と思うかもしれない.もちろん,大阪維新の会にもデマに反論する権利はある(むしろ正すべきである).しかし,その場合は大阪維新の会が単にデマに対して反論すればよいのであって,わざわざファクトチェックを連想させる言葉を使う必要はない.
公式ファクトチェッカーの問題点2
上で見たように,立ち上げの時点で公式アカウントは多くの問題を抱えていた.そして,昨日はじめての"ファクトチェック" が行われた.以下,そのTweetを引用する.
ファクトチェッカー【公式】大阪維新の会をフォローいただいている皆さま、お待たせいたしました。
— ファクトチェッカー【公式】大阪維新の会 (@oneosaka_factck) 2021年2月26日
第1弾のファクトチェックは、新型コロナウイルス関連 大阪市内における濃厚接触者に対しての対応についてです。
是非、ご一読ください! https://t.co/bUrq6UZGwd pic.twitter.com/pEUSjlC39N
対象となったのは,一般人の方のTweetである.コロナウイルスの濃厚接触者になり,その際の対応について述べたものである.
さて,上記の公式アカウントは,ファクトチェックの定義を満たしているのだろうか.ここで,前述したFIJのファクトチェックの記事と比較されたい.
上記の記事を見てもらえればわかるように,菅首相の発言に対して,客観的なデータを用いて「誤り」であると述べている*2.先に見たように,ファクトチェックは「公開された言説のうち、客観的に検証可能な事実について言及した事項に限定して真実性・正確性を検証し、その結果を発表する」ものである. また,公式アカウント自体も「住民の皆様に正しい情報を知っていただけるよう情報の真偽を客観的事実をもとに調査し、事実を発信していく」と述べている.
では,大阪維新の会の公式アカウントの"ファクトチェック" に戻ろう.はたして,公式アカウントの前述したTweetは,「真実性・正確性を検証し,その結果を発表」しているのだろうか? 一読しただけでは,その結果が明確に述べられているようには思えない.一般人の方のTweetが示すコロナの対応が,実際に起きたことなのかそうでないのか,その結果を検証しているようには見えない.一般人の方のTweetが示す濃厚接触者への対応の経緯,根拠,そして他の都市でも同様の対応が行われていることが述べられており,大阪市の対応を「擁護」しているように見える.この点で,公式アカウントの"ファクトチェック"はファクトチェックの定義を満たしていない.
もちろん,濃厚接触者への対応の経緯などを説明することは悪いことではない.ファクトチェックを連想させるアカウント名を名乗り,デマに対応すると言いながら,デマであるかどうかを判断しているようには見えず, ファクトチェックの要件を満たしていないことが問題なのである.
まとめ
ここまで見たように,大阪維新の会の公式アカウントはファクトチェックを連想させる言葉を使いながら,ファクトチェックの要件を満たしていないことを見てきた.正直なところ,大阪維新の会のこの一連の動きは軽薄であると言わざるをえない.デマを正そうとすることは問題ないが,ファクトチェッカーというアカウント名はすぐに変更するべきである.このままであれば,"ファクトチェック"をファクトチェックする世界がすぐにやってくることになるだろう.
緑色の天井
今回は,「犬笛」と呼ばれる政治手法について考えてみたい.ネット上のコメントなどを見ていると,この用語も徐々に浸透してきているように思うが,最もわかりやすい紹介記事として以下のものを引用する.
この記事によれば,犬笛は以下のように定義される.
- 政治家が特定の有権者を意識して暗号のような表現を使い、「人心を操る」政治手法のことを、「犬笛」戦術と呼ぶ。
主に,アメリカ大統領選で話題になることが多い言葉である.恥ずかしながら,日本で暮らすなかで「犬笛」の存在を明確に意識することはなかった.しかし,数日前に少しだけ話題になった吉村大阪府知事の発言をめぐる経緯を見ている中で,自分のなかで「これが犬笛か」と実感した場面があった.本稿では,その点について述べたい.
吉村知事の発言
ことの発端は,吉村知事が大阪府における緊急事態宣言の発令要請にいたった経緯を説明する際のコメントを抜粋したデイリースポーツの以下の記事である.
感染者の数が急増したことを表すため,吉村知事は「ガラスの天井」の用語を使った.しかし,「ガラスの天井」には単に「ガラスでできた天井」という字義通りの意味の他に,別の意味がある.Wikipediaからの引用になってしまうが,概ね以下のような慣用句として定着している.
ガラスの天井(ガラスのてんじょう、英語: glass ceiling)とは、資質・実績があっても女性やマイノリティを一定の職位以上には昇進させようとしない組織内の障壁を指す[1][2] 。女性やマイノリティが実績を積んで昇進の階段をのぼってゆくと、ある段階で、目に見えないが強固な天井にぶつかったように昇進が停まってしまい先へ進めなくなる現象を「ガラスの障壁に阻まれている」様子にたとえた表現[3]。Wikipediaより引用
筆者も,Yahooのトップページで上記の記事の見出しを見た際に,慣用句としての意味が先に頭に浮かんだため,感染者数を話す文脈でなぜ?と思った.その後,おそらく「ガラスでできた天井」の字義通りの意味で使ったのだろうと考えた.
吉村知事に対する誤用の指摘
この吉村知事の「ガラスの天井」の発言に対して,誤用を指摘する声があがった.
感染が急拡大した事を認識したのはいいというか当然として「ガラスの天井」ってなんじゃそりゃ?です。
— 米山 隆一 (@RyuichiYoneyama) 2021年1月9日
「ガラスの天井」は主に女性のキャリアップに於いて、隠然と見えない上限があるという比喩であって、新型コロナ感染症の拡大とは何の関係もない訳ですが。https://t.co/zjRLpsUAZS
上記は元新潟県知事の米山氏である.この他にも多くの人が誤用ではないかという指摘をしているが,後の議論のために2名の方の発言を引用する.
う〜ん、吉村知事、このタイミングで「ガラスの天井」を引き合いにされるのには違和感が…。💦 https://t.co/5G2OUnlKNw
— 太田房江 (@fusaeoota) 2021年1月9日
元大阪府知事,現参議院議員の太田氏の発言である.次は,参議院議員の蓮舫氏の発言を引用する.
は?と思いました。
— 蓮舫@RENHO・立憲民主党 (@renho_sha) 2021年1月9日
「ガラスの天井」の意味間違ってます。
吉村知事 6日に大阪で560人感染「ガラスの天井を突き抜けた」…緊急宣言要請決める(デイリースポーツ) - Yahoo!ニュース https://t.co/mPcDY3JGgi
吉村府知事の反論
誤用の指摘に対して,吉村府知事は以下のように反論した.
蓮舫議員や太田議員が、「吉村が『ガラスの天井』を間違って使ってる!」と一生懸命だが、僕が役所内の「ガラスの天井」を打ち破る為に何をしてるのかも知らないんだろうな。その意味で使ってない。記者会見では、いつ割れてもおかしくない状態を「ガラス」に喩えただけ。会見の中身を見たら明らか。 https://t.co/7XjvHtz46E
— 吉村洋文(大阪府知事) (@hiroyoshimura) 2021年1月10日
なので、同じ記者会見で「ガラス」の比喩を使わず「天井」とだけ言ってるシーンもあり、記事にしたらこうなるのが普通。勿論、僕の言葉なので、僕に責任。ただ、引用されたスポーツ記事さんの内容を見ても国会議員なら分かるだろう。「ガラスの天井」を打ち破る政策には賛成。https://t.co/vzQmJUbc8a
— 吉村洋文(大阪府知事) (@hiroyoshimura) 2021年1月10日
以上が,吉村知事の反論である.なお,吉村知事の「ガラスの天井」の使い方がそもそも誤用なのかについては議論をしないでおく.
吉村知事の犬笛(らしきもの)
ここでは,吉村知事が,なぜ反論を行う際に太田氏と蓮舫氏を名指ししたのかについて考えたい.それも,わざわざ「一生懸命」という言葉をつけて,である.
前述したように,米山氏など,多くの(著名)人が誤用ではないかと指摘している.にもかかわらず,吉村知事は"わざわざ"太田氏と蓮舫氏を名指ししている.ここに,吉村知事の「狡猾さ」がにじみ出ている.
太田氏は,橋下徹氏が2008年に大阪府知事になる前の府知事である.維新の会やその支持者の人たちにとって,平松元市長と並び,「維新前の大阪」を象徴する政治家である.維新の会により成長した(とされる)大阪以前の,暗黒の大阪を象徴する存在なのである.それゆえ,大阪に住む維新の会の支持者は,上記の吉村知事の発言を見ると,「大阪を成長させられなかった太田氏が何を言っているんだ」となり,太田氏の発言内容は考慮せずに,太田氏を批判するという構図ができあがる.
蓮舫氏は,"野党的なもの"を代表する存在であり,ネット上では「いつも批判ばかりしている人」というイメージで批判されることが多い.それゆえ,「あ,また蓮舫氏が批判のための批判をしているのだな」と維新の会の支持者だけでなく,中立的な立場の人たちも感じることになる.こうして,蓮舫氏の発言内容は考慮されず,「また蓮舫氏がなにか言ってるよ」と蓮舫氏が批判される構図ができあがるわけである.
筆者は,上記の吉村氏の反論を見て,"狡猾"だなと感じた. また,冒頭で述べた「政治家が特定の有権者を意識して暗号のような表現を使い、「人心を操る」政治手法」,すなわち「犬笛」を思い出した*1. 実際,支持者の人たちの多くは,太田氏や蓮舫氏を批判するコメントを残しているようである.
以上,吉村知事の犬笛(らしきもの)について見てきた.ガラスの天井が誤用かどうかはさておき,上述したような狡猾さについては好ましいものではないだろう.
*1:ただ,あまりにもあからさますぎて「暗号のような表現」とは呼べないため,厳密には犬笛ではないのかもしれない. もう少しばれないように犬笛を吹けよ,という点では"狡猾"というより"滑稽"である.
日本学術会議の問題に関する簡単な論点整理
次から次へと「小説の中のような」出来事が起こる毎日である。菅政権が日本学術会議の会員の任命の一部を拒否した問題が、連日報道を賑わせている。早くも、論点ずらし、論点のすり替え、デマ、プロパガンダの類が溢れかえっている。ここでは、自分の備忘録のために、簡単ではあるが論点を整理したい。
まず、1つ目の論点である。
1. 今回の任命拒否の問題は、法解釈の観点から適切なのか
日本学術会議法第7条*1には、「会員は、第十七条の規定による推薦に基づいて、内閣総理大臣が任命する」とある。この「任命」が、日本学術会議により推薦された会員候補を任命するだけなのか(=形式的な任命権)、推薦された会員候補に対して内閣総理大臣が何らかの理由で任命を拒否すること(=実質的な任命権)も含むのか、が1番の問題である。
この点に関しては、1983年に中曽根首相(当時)が形式的な任命であると明言している。今回の菅政権による任命拒否は、実質的な任命権があるものとして行動しているが、中曽根首相の答弁と整合性が取れていない。
よって、1. の論点について、i) 実質的任命権があると解釈しているのか、ii) とすれば1983年から現在までの間でいつ、どのように法解釈を変更したのか、iii) いかなる理由で6名の任命を拒否したのか、といった点の「明確な」説明が菅政権には求められている。
次に、論点の2つ目である。
2. 日本学術会議のあり方について
- 10億円もの国費を投入して会議を運営することの是非
- 2017年に日本学術会議が発表した軍事研究に関する声明の是非
この論点は、政権を擁護する側の人間から出されたものである。例えば、国費を投入して日本学術会議を運営することに意味があるのか、その国費に見合うだけの活動をしているのか、といった点である。また、2017年に日本学術会議が発表した軍事研究に関する声明の是非についても、様々な意見があがっている。
ここで重要なのは、「論点1.と論点2.は分けて考える」という点である。この点を明確に意識しないと、まっとうな議論にはならない。両者を混同した意見として、例えば以下のようなものが散見される。
- そもそも日本学術会議は偉そうな学者たちの集まりで、10億円も国費を投入して利権を得ているんじゃないの?2017年には軍事研究に関する声明を出しているし、左寄りの組織で国益に反している。また、任命拒否された6名は政権批判もしている。
- だから、任命拒否は当然でしょ。
上記のような意見は、i) 日本学術会議のあり方を批判することで、ii) 法解釈の観点から疑問のある菅政権の任命拒否を擁護する、という構造を持っている。ここで注意して欲しい点がある。日本学術会議のあり方に問題があったとしても、それは今回の菅政権の行動を正当化することにはならない。両者の問題は分けて考える必要がある。
仮に、腐敗した組織Aが存在するとする。このAに対して、何らかの是正を行いたいとする。その場合、是正を行う組織Bは、正当な手段Cによって是正を行わなければならない。不当な手段Dによって是正を行うことは正しくない。どれだけ組織Aが腐敗していたとしても、である。
報道を見ていると、政権を擁護したい"小金稼ぎのコメンテーター"たちが、ことさらに論点2. を強調しているように思える。こうすることによって、任命拒否が正当化されるよう世論を誘導したいのであろう。もちろん、日本学術会議のあり方については検証が必要である(実際、どのような組織かは釈然としない)。しかし、論点1. についてもきちんと検証しなければならない。時の権力者が、曖昧な法解釈で、理由が明確でない恣意的な人事を行ってよいはずがない。再度繰り返すが、論点1.と論点2.は分けて考えなければならない。
「なんでも反対ばかり」という言葉の危険性について
安倍首相が辞任し、菅官房長官が自民党総裁に選ばれ、新たに首相となった。一方で、野党では旧立憲民主党と旧国民民主党が解党され、新立憲民主党と新国民民主党が誕生した。本稿では、「野党」に対して近年よく用いられるようになった「なんでも反対ばかり」という言葉について考えたい。
「なんでも反対ばかり」という言葉には、「野党は対案を出さない。だからダメだ」という文言が続く。つまり、「なんでも反対ばかり」という言葉は、野党を批判するために用いられる。
ここで確認すべきことは、i) 野党は本当になんでも反対ばかりしているのか、ii) 野党は対案を出していないのか、という点である。実際、ニュース番組を視聴していると、野党が与党のスキャンダルを厳しく追求している場面が映されることが多い。そのため、我々もなんとく野党はは批判、反対ばかりしているという印象を持つことが多い。
では、この印象は本当なのだろうか?この点については、以下のニュース記事が参考になる。
詳細な議論は上記の記事に譲り、結論だけ述べたい。客観的なデータを見た場合、i)野党は 反対ばかりしているわけではない、ii) 野党は対案となる法案を提出している、と言える。
我々の野党に対する印象は間違っているようである。この点については、その印象を正せば良い*1。問題は、我々ではなく「与党」が「野党」に対して「批判ばかりで対案を出さない」と批判することである。その目的は何だろうか?
まず、野党が反対しているもの(これを仮に法案とする)は、いくつかの種類に分類されることを確認しよう。
- 野党の党利戦略により反対している法案
- 内容に問題のある法案
1. については、反対することによって与党を追求し、国民にアピールするために反対している法案などが考えられる。2. については、成立することによる国民に対する不利益が大きい法案などが考えられる。
1. については、まさに反対のための反対になっており、好ましくない。この点については、「野党は反対ばかり」という批判は正しいと言える。問題は、2. である。この種の法案が成立した場合、国民にとって不利益となる。よって、この種の法案に反対することは正しいと言える。
では、本題に戻ろう。なぜ、与党は野党を「反対ばかりで対案を出さない」という文言を使って批判するのか。その理由は、1. のタイプの反対をことさらに取り上げることにより、2. のタイプの批判を見えなくするためではないだろうか。野党が反対しているのは反対のための反対であり、与党が提出する法案に問題があるから反対しているのではない、としたいわけである。すると、国民側はどの法案の議論に対しても、「また野党が反対している」、「いつものこと」と感じ、野党が重要な指摘をしていることに気が付かないわけである。このような状態になると、「反対ばかりしている」というレッテルを貼ることにより、与党は利益を得られるのだ。
近年、この「反対ばかりをして対案を出さない」という文言を自覚的に用いることで、自らに対する正当な批判を封じることを狙う与党、権力側の人間が多いように思える。とある地域政党などが、その最たる例であろう。こういった人々の自覚的なレッテル貼りにより、どうも「反対、批判すること自体がダメだ」という風潮が形成されているように思えてならない。
我々は、野党が批判している際は「またか」と思わずに、「党利戦略による反対のための反対」なのか、「本当に問題があるから反対」なのかを考えなければならない(そもそも、このように考えければならないことも問題ではあるが)。また、与党、権力側の人間が発する「反対ばかり、対案がない」という批判が、自らに対する正当な批判を封じるためのレッテル貼りの可能性があることを考えなければならない。嫌な時代になったものである。
*1:もちろん、なぜ我々は「野党は批判ばかりで対案を出さない」という印象を抱いているのか、を明らかにすることは重要である。この印象形成に一役買っているのは、マスコミ(特にテレビ)であることは火を見るより明らかであろう。。
噛み合わない記者会見の構図:質問への不回答・質問内容の誤解
大阪府、大阪市、大阪大学、大阪市立大学を中心とした新型コロナウイルスに対するワクチンの開発が話題になっている。ここ1週間で様々な報道がなされているが、その中で作為か不作為によるものかはわからないが、議論が噛み合っていない点が散見されたのでまとめたい。
1. 6月17日の吉村知事による定例会見
6月17日の定例会見において、吉村府知事が上述したワクチンの進捗状況に関する報告を行った。その会見の際に、吉村府知事は6月30日より開発中のワクチンの人への投与、すなわち、治験を「実施する」と述べた。
大阪府・吉村知事「ワクチン開発、オール大阪で取り組んでいる」(2020年6月17日)
問題の発言は、会見冒頭の部分である。この会見を文字起こしした記事があるので、そちらを転載する。
上記の記事から問題の発言の箇所を引用する。
吉村:僕からは2点です。まず1点目は新型コロナウイルスのワクチンについてです。日本産、そして大阪産の新型コロナのワクチンの開発をこの間、進めてまいりましたが、6月30日、今月末に人への投与、治験を実施いたします。これは全国で初になると思います。ー中略ー動物実験等々も経まして、6月30日に阪大の、いわゆるワクチンを、市大で治験をすると。6月30日に、現実に人に投与すると。最初は医療関係者になると思いますが、ということを実施いたします。その発表です。
引用箇所から分かるように、吉村府知事は開発中のワクチンを、6月30日に大阪市立大学の医療関係者に投与することを発表した。
2. 毎日新聞による報道
昨日、この大阪市立大学での治験に関して毎日新聞による報道が行われた。
毎日新聞の報道によれば、17日に発表された大阪市立大学での治験に関する審査委員会は、24日に開催されるとのことである。問題の箇所を引用する。
ワクチンは阪大の森下竜一教授と製薬ベンチャー「アンジェス」などが共同開発。吉村洋文知事は17日、市大病院の医療従事者20~30人を対象にした治験が30日から実施されると発表した。通常、治験は実施される医療機関で承認を受けた後、日程などの計画が公表される。しかし市大審査委は日程公表後の24日に開かれた。市大は「審査結果は後日発表する」としている。
つまり、吉村府知事は大阪市大の審査委員会で治験が承認される前に、記者会見において「治験を実施する」と発表したことになる。
3. 問題点1:「質問への不回答」
この報道がなされた日に、吉村府知事による定例会見が行われた。当然、17日の記者会見の内容と毎日新聞の報道との関係について記者から質問が挙がった。
大阪府・吉村知事「感染防止宣言ステッカーを発行」(2020年6月24日)
問題の質疑は、動画で言うと57:45あたりからである。この記者会見に関しても、文字起こしを記載した記事があるので、そちらを転載する。
該当の質疑の箇所を引用する。まずは、記者の方の質問の部分である。
共同通信:共同通信の山本です。大阪大学で研究が進んでいます新型コロナのDNAワクチンの件で伺います。本日、市大病院のほうで治験審査委員会が開かれる予定でして、このワクチンについても議論されると思いますけども、知事は先週17日の定例会見で、すでに6月30日に人への投与、治験を実施するというふうに発表しておられます。一方で、治験審査委員会のほうの関係者からは倫理性、安全性、それから科学的な妥当性についてチェックする審査委員会は本日開催予定ですので、その開催前に行政サイドから決定事項のように発表されたということについて、その対応をちょっと疑問視するような声も上がっているんですけども、先週の記者会見でワクチン開発のスケジュールを発表されるに際して、府庁の中でどういった議論があって、どういう経過で定例会見での発表になったのかお知らせいただけますでしょうか。
記者の方が問題にしているのは2点である。
- 大阪市立大学の審査委員会が開催される前に記者会見において大阪市立大学での治験が発表されたことに関して、疑問視する声が上がっている。
- 17日の定例会見でのワクチン開発に関する発表の前に、府庁の中でどのような議論があり、どのような経緯があったのか。
至極まっとうな質問である。この質問に対する吉村知事の回答を引用する。
吉村:まず、最終的に決定をするのは、これは市大の倫理委員会で決定されるということになると思います。ですので、これがもし30日、どういう決定になるかは分かりませんが、最終的な決定はそこで判断されるということになると思います。ただ、そのワクチンについてのいわゆる目標、これはワクチンを開発して進めていくという目標というのを、いわゆる協定も結んでいるわけなので、知事の立場で、14日に協定を結んでいますので、市大と阪大と、それから大阪府市で決めていますから、それについての目標を掲げるということは、これは知事にまったくしゃべるなというのもおかしいですから、その目標を掲げているということです。最終的なところは倫理委員会、市大において決定されると思ってますが、僕はその目標値として府民の皆さんにお知らせをしたということです。その前日には松井市長もお知らせをしているということだと思います。
その中身については、ある意味、森下先生も含めていろんな進捗状況はお聞きをしていますので、それに基づいて、森下先生以外にもお話はお聞きしますが、それに基づいて、ある意味、方向性というか、目標というか、そういうものを発表していくということです。最終的には市大の倫理委員会で決められるというふうに思います。
吉村府知事によれば、17日の定例会見での発表は、「目標値として府民の皆さんにお知らせをした」ということのようである。これはおそらく、上述した1. の「疑問視の声が上がっている」という記者の発言に対して返答したのであろう。この発言は、「実施すると言ったが、これは目標値を述べただけで問題はない」と解釈するしかない。
しかし、上の引用を見れば分かるように、17日の定例会見で吉村府知事は30日に治験を「実施する」と述べている。「実施する」は確定事項であり、「目標値」ではない。残念ながら、17日の定例会見での30日の治験実施に関する発言を、目標値であると解釈するほどの高尚な読解力を私は持ち合わせていない。
また、記者の方の質問にも言葉足らずな面があるため一概には言えないが、吉村府知事は記者の方の質問2に対して答えていないように思える。17日の発表前に、府庁で行われた議論、経緯について何も説明がないからである。記者の方が「経緯」で何を意図していたか不明だが、ここで問題になるのは次の点である。
- 17日の定例会見の段階で、大阪市立大学における審査委員会が24日に開かれることを知っていたのか、知っていなかったのか。
もし知っていたのであれば、17日の定例会見において「24日の審査委員会での審査を経た上で実施する予定である」と発言すべきである。
また、もし知らなかったのであれば、それはそれで問題である。マスコミから多大な注目を集め、1つ1つの発言に責任が問われる府知事という立場にありながら、治験に到達するまでの種々のプロセスを理解しないまま発言するのは不適切と言わざるをえない。
いずれにせよ、「経緯を明らかにして欲しい」とする記者の方からの質問には適切に答えていないという問題がある。
3. 問題点2:「質問内容の誤解」
24日の会見で、ワクチン開発に関してさらなる質問がなされた。その箇所を引用する。
共同通信:関連してなんですけども、今回ワクチンの研究開発、あるいは製造の主体ではない行政の側から、特に知事のように知名度と影響力のある方がメディアに出て、何回も繰り返してスケジュール、それから見通しについて断定的に発信されますと、当然それを見ている府民、国民の期待値も上がると思います。そういう今の状況について生命倫理の専門家の中からは、現場に過度なプレッシャーにならないかちょっと懸念があるというような指摘もあるんですが、知事のご見解はいかがでしょうか。(注:下線は筆者によるもの)
この質問の意図は、「スケジュール、見通しについて「断定的に」発信すること」の是非を問うものである。17日の定例会見で30日に治験を実施すると述べたことが断定的な発信の一例であろう。この質問に対して、吉村府知事は以下のように回答した。
吉村:一定の、あるいは、いろいろわれわれも話を聞いて協定も結んでいますので、府民の皆さんに目標を示していくというのは知事としても必要な役割だというふうに思います。知事に一切しゃべるなというんであれば、もう協定結ぶ必要もないし、独自でそれぞれにやっていくということになるんじゃないかと思います。オール大阪でやっているので、別に僕、邪魔するつもりでもなんでもないんですけれども、最終的には市大の倫理委員会でこれはまず決めることだし、それ以外にもいろんな国の手続きだとか、あるいは困難な課題というのはたくさんあります。全てが予定どおりにいくわけではありません。でも、やはり命を守る、そして、特に今ワクチンがない中で医療従事者の皆さんっていうのは最前線で闘ってらっしゃいます。そういった医療従事者の皆さんに、有効なワクチンというのが、なんとかこれを大阪でできるだけ早くできないかというのは、知事としては普通の思いだし、それから重症でお亡くなりになられる方も、このワクチンが一定程度、効果が出れば、これは命を救えるということもいわれているわけなので、その進捗とか目標っていうのを知事の立場で発表する、ある意味そのこと自体を非難されるというのも少し違うんじゃないかなとは思ってます。
ここで、吉村知事は記者の方の質問内容を誤解している*1。記者の方は、「断定的に、スケジュール、見通しについて発信すること」の是非を問うているのであり、「スケジュール、見通しについて発信すること」それ自体の是非を問うていない。引用箇所の最後の部分で、「その進捗とか目標っていうのを知事の立場で発表する、ある意味そのこと自体を非難されるというのも少し違うんじゃないかなとは思ってます」と述べているが、そもそもワクチン開発に関して知事の立場で発表することは非難されていない。論点がすり替わっている。当然、ワクチンの開発の進捗状況は発表するべきである。ただし、きちんとしたプロセスを経て、誤解につながらないような形で、である。
4. まとめ
今回は、吉村府知事の17日、24日の定例会見、その際の質疑の内容を取り上げた。上で見たように、吉村府知事は質問にきちんと回答せず、質問内容を誤解している。そのため、結局のところ、17日の定例会見の時点で大阪市大で審査委員会が行われるのが24日であることを把握していたのかは定かではない。
ワクチン開発は、誰もが待ち望むことである。だからこそ、科学的なプロセスを重視し、きちんとした手順を踏む必要がある。また、吉村府知事も慎重に誤解のないように発信していただきたい。
最後に、25日に行われた松井大阪市長の定例会見の動画へのリンクを記載しておく。
この会見でも、治験実施の発表と大阪市大の審査委員会の開催日との関係に関する質疑が行われている。上記の動画の47分ごろからである。
動画を視聴する前に予断を与えるのは本意ではないが、松井市長の回答はあまりにも不誠実であり、質問内容への誤解が多々あることを申し添えておきたい。
*1:おそらく、誤解であり曲解ではないと思われる。
医療崩壊報道の検証記事
先日、『噛み合わない議論の構図:「医療崩壊」という言葉の定義』という記事を執筆した。
lambda-abstraction.hatenablog.com
その後、少しずつではあるがこの騒動を検証した記事がメディアに登場し始めている。
同じ騒動を扱ったものであるにも関わらず、検証結果が真逆になっている。さらに、それぞれの報道機関の普段からの吉村知事に対する評価と、今回の騒動の検証結果が同じように思える点も興味深い。
今後も、今回の医療崩壊騒動に関する検証が報道される度に、この記事に追記する形で記録として残していきたい。