噛み合わない議論の構図:「医療崩壊」という言葉の定義
0. はじめに
ここ数日、愛知県の大村知事による東京と大阪に医療崩壊が起きているという発言がメディアを賑わせている。現在までの流れを整理すると次のようになる。
- 大村知事の会見内容が新聞で報道される
- Twiiter上で吉村府知事が反論する
- その反論に対して大村知事が会見でコメントする
- さらにTwitter上で吉村府知事が再反論する
この一連の流れを検証する過程で、「言葉の定義」が原因で起こる噛み合わない議論の構造を可視化したい。
1. 大村知事の会見内容の報道
ことの発端となった報道は、朝日新聞による以下の記事である。
まず、この記事が報じた26日の会見とは別に、大村知事はかねてより東京と大阪では医療崩壊が起きていると主張している。この記事の中では、11日に行われた会見の発言が引用されている*1
この動画内で言えば、59分30秒あたりからが問題の発言である。大村知事は次のように述べる。
「もう何度も私申し上げていますけども、病院に入れないということと、それから救急を断る、というこの2つはやっぱり医療崩壊ですよ。それが東京と大阪で起きているわけですから。」
この発言から、大村知事にとっての医療崩壊の定義は(1)であることが分かる。
(1) 大村知事の医療崩壊の定義
a. 病院に入れないこと
b. 救急を断ること
大村知事は(1) の定義による医療崩壊が起きているという問題意識のもと、前述した朝日新聞に記事にあるように、病院で受け入れ困難だった感染者数や救急件数の全国での検証の必要性を訴えたのである。
2. Twitter上での吉村知事の反論1
上掲の朝日新聞の記事に対して、吉村知事はTwitter上で以下のように反論を行った。
大阪で医療崩壊は起きていません。何を根拠に言っているのか全く不明です。一生懸命、患者を治療する為、受け入れてくれた大阪の医療関係者に対しても失礼な話です。東京もそうですが。根拠のない意見を披露する前に、県は名古屋市ともう少しうまく連携したら?と思います。 https://t.co/VyRp3GhHA8
— 吉村洋文(大阪府知事) (@hiroyoshimura) 2020年5月27日
「医療崩壊」と急に言われれば、このような反応をするのも当然だと思われる。ただし、この段階で吉村知事が朝日新聞の記事に記載されている「病院に入れない、救急を断るのは医療崩壊で東京と大阪で起きた」の箇所を参照したかどうかは不明である。
3. 吉村知事の反論1に対する大村知事の会見でのコメント
5月28日に、再び大村知事の会見が行われた。その際に、記者から上掲の吉村知事のTwitter上での発言について問われ、大村知事が返答した。これを報じたのが朝日新聞の次の記事である。
記事内での問題のコメントの箇所を引用する。
愛知県の大村秀章知事は28日の記者会見で、「東京と大阪で医療崩壊が起きている」という自身の発言に対し、大阪府知事と大阪市長がツイッターで反発していることについて、「私は公表されたデータを拝見して申し上げただけ。違うというならデータをもって話すべきだ。そうでなければ、ただ単に言い訳しているに過ぎない」と述べた。
次に、問題の会見の動画を引用する。
動画内でのこの問題に対するコメントは12:00 あたりからである。まず、大村知事の医療崩壊の定義のうち(1a)の部分の箇所に該当する発言を引用する。
やはり私は公表されているデータを拝見して申し上げただけですけれどもえー4月中ですか、国があの厚労省がまとめたもので出しておられますが、その時点の陽性患者数のうちですね、国があの頃 おられますがその時点の陽性患者数のうちですね、4月末でしたかね、半分ぐらいが入所施設に2百何十人も、900人ぐらいの患者さんで2百何十人が入所施設ですけども、自宅待機がまた2百何十人に上がられたということで入院という方が半分いるかいないか400人ぐらいだったですかね。ということなんでもそれはやはりもう病院にに入りきれていない。まぁ確かあれだけ吹き上がるとですね、それはあのなかなか難しいというのは分かるんですね。それもそういう意味では入院に入りきれていなかった東京も同じですよね。入りきれていなかったということと
厚労省が発表した4月中の入院患者数のデータをもとに、大阪や東京の状況は(1a)「病院に入れない」の定義による医療崩壊にあたると指摘している。
次に、大村知事の医療崩壊の定義のうち(1b)の部分の箇所に該当する発言を引用する。
救命救急センターというのがございます。第三次救急、愛知県は24、日本で一番多いのが東京に26、愛知24、2番目なんですが大阪16。そのうちのいくつかのまあ報道ベースですけど、四つの救命救急センター救急断ってるということもありました。私が申し上げてる、いつも前提つけてますよね、病院に入れていないということと、救急お断りするということはそれがそれはそれはやはりそういう状況を医療崩壊というんですよね。という私自身が前提を申し上げて間違いなく東京と大阪はそういう状態にあったということでありますので。それをしっかりとですね、事実関係を検証し分析して二度とそういう事ならないようにやっていたということが必要ではないかということを申し上げている。
報道記事をもとに、大阪では4つの救命救急センターが救急を断っていることを指摘し、(1b)「救急を断る」の定義による医療崩壊が大阪では起きていると指摘する。
この後、朝日新聞の記事にあるような「ただ単に言い訳」という発言が続く*2
ここまで見たように、大村知事は「何を根拠に行っているのか全く不明である」という吉村知事の指摘に対し、(1) で見た「病院に入れないこと」と「救急を断ること」という医療崩壊の定義に照らし合わせ、返答したわけである。
4. 吉村知事の反論 2と議論の噛み合わなさ
吉村知事は、3. で引用した朝日新聞の報道を受け、Twitter上で再反論を行った。以下、その引用である。
①大村知事「ただ単に言い訳」って酷いね。確認したら、大阪の3次救急の4病院で一部救急停止したことを「医療崩壊」と言ってるらしいが、全く違う。これは4月21日救命センター長会議において、3次救急、特定機能2次救急(65病院)で救急受け入れ余力可能数を算定し(215名)、 https://t.co/Fa1w3c4hfG
— 吉村洋文(大阪府知事) (@hiroyoshimura) 2020年5月28日
②その範囲で公立4病院の救急を一時停止し、コロナ重症患者の治療に専念したもの。よって、役割分担をしてコロナの重症者にも、その他の救急にも対応した計画的措置。救急を断るものでも、「医療崩壊」でも何でもない。大村知事が事実関係も調査せずに、「大阪や東京は医療崩壊!」って謝罪もんだよ。 https://t.co/VCWi27O3QW
— 吉村洋文(大阪府知事) (@hiroyoshimura) 2020年5月28日
③公立4病院でコロナ重症患者の治療の為に一部救急停止を決めたのは、4月7日〜順次段階を追って進めていったが、4月21日のセンター長会議で、受け入れ可能数を算定、大阪全体でのコロナ重症患者の治療と他の救急との受け入れ可能数を総合調整。重症者の救急断り、オーバーフローは起きていないよ。 https://t.co/5ZZ1QQRutE
— 吉村洋文(大阪府知事) (@hiroyoshimura) 2020年5月28日
以上の引用が示すように、4つの救急センターの受け入れ停止から大阪では(1b)の定義による医療崩壊が起きていたとする大村知事の主張に対し、吉村知事は反論を行った。吉村知事の反論によれば、4月21日付けで大阪府全体で調整を行い、役割分担の結果4つの救急センターはコロナ重症患者の治療の為に一部救急停止を行ったものの、その他の病院でコロナ重症患者以外の患者を受け入れ、(重症者の)救急断りは起きていない。それゆえ、(1b) の「救急を断る」にあたる医療崩壊は起きていないのだと主張している。救急停止した病院はあるが、他の病院で対応しており、「停止はしたが断ってはいない」ということなのだろう。
ここで、若干議論が噛み合っていないように思える。それは、大村知事の医療崩壊の定義のうち、(1b)「救急を断る」にはいくつかの解釈が可能だからである。
- (1b)の解釈①:受け入れ停止自体も「断る」に含まれる。
- (1b)の解釈②:受け入れ停止自体は「断る」には含まれない。受け入れ停止していないのに受け入れないことが「断る」である。
もし大村知事が定義 (1b) の解釈①を意図しているのであれば、大阪府では医療崩壊が起きていたことになる。しかし、吉村知事にとってはこれは(少なくとも21日以降は)意図的に行っており、他の病院で受け入れを分担しているため、医療崩壊ではないと反論しているわけである。
定義 (1b) の解釈②を意図しているのであれば、前述した4つの救急センターでは医療崩壊は起きていないことになる。しかしこの場合、吉村知事は大阪府下の受け入れ停止をしていない救急センターでも救急断りが発生していなかったことをデータで示さなければ、医療崩壊が起きているという大村知事の主張に対して反証したとは言えない。
大村知事がどちらの解釈を意図しているかは不明である。いずれにせよ、大村知事の「断る」の解釈の不明確さによって議論が噛み合っていないように感じられるのは確かである。
また、意図的であるかは不明だが、吉村知事は大村知事の(1a) の定義に基づく医療崩壊の指摘に関しては反論を行っていない。引用したツイート①において、「確認した」と吉村知事は述べているが、(1a) について確認しなかったのであろうか。大村知事は吉村知事の反論 1に対して、(1a) と (1b) の観点から医療崩壊が起きていると述べたわけなので、 (1b) だけでなく (1a) の観点からも反論すべきである。この点でも両者の議論は噛み合っていない。2つの観点について大村知事は述べているのに、(意図的かは別として)1つの観点に限定した点は、アンフェアである。
4. 吉村知事の反論2の検証
次に、吉村知事の反論の検証を行いたい。大村知事が報道ベースで、と述べた大阪府の4つの救急センター受け入れ停止に関する様々な記事が見つかる。この記事をもとに、(1b) の「救急を断る」にあたる医療崩壊は起きていないとする吉村知事の主張の妥当性を確認していく。
この記事内では、救急を断ったとする事実は記載されていない。ただし、以下の引用が示すように、りんくう総合医療センターが6日から救急外来停止とあるので、4月7日から開始したとする吉村知事の発言と齟齬が生じている。
毎日30人以上が救急搬送される大阪市立総合医療センター(1063床)も、7日から救急外来を停止。泉佐野市のりんくう総合医療センター(388床)は6日から停止し、堺市立総合医療センター(487床)は9日から軽症者の救急診療を休止した。
また、最速で4月6日から第3次救急センターの救急受け入れ停止がはじまっているが、センター長会議が行われたのは4月21日である。この間にも、吉村知事が言う役割分担が適切に行われていたかを検証しなければならない。4月21日以降は役割分担が明確になったのかもしれないが、4月6日から4月20日までの間はそうでなかった可能性があるからである。この点でも、吉村知事は大村知事の主張を完全に反証したとは言えない。
次に、Sankeibizの記事を紹介する。4月27日付けの記事である。
この記事では、大阪大病院の高度救命救急センター長である嶋津岳士教授の発言が引用されている。
「崩壊」の背景にあるのは、患者の受け入れ先不足だ。発熱や呼吸器症状を訴える軽症患者らについて、本来対応できる病院が感染を疑って診療を断るケースが多発。阪大病院など重症者の治療に注力すべき三次救急医療機関や受け入れ可能な病院に集中する事態となっている。
嶋津医師は「阪大病院にも、17病院が受け入れ拒否した肺炎疑い患者が運ばれてきた。救急車の行き先がなくなり、救命センターが診るほどの重症度でない患者も受け入れざるを得ない状態だ」と明かす。
嶋津医師の発言からも分かるように、17病院で受け入れ拒否、すなわち救急断りが起きていた。よって、大阪では大村知事の定義(1b)「救急断り」による医療崩壊が起きていたことになる。
ここで、吉村知事の反論2のTweetが問題になるかもしれない。以下、再掲する。
②その範囲で公立4病院の救急を一時停止し、コロナ重症患者の治療に専念したもの。よって、役割分担をしてコロナの重症者にも、その他の救急にも対応した計画的措置。救急を断るものでも、「医療崩壊」でも何でもない。大村知事が事実関係も調査せずに、「大阪や東京は医療崩壊!」って謝罪もんだよ。 https://t.co/VCWi27O3QW
— 吉村洋文(大阪府知事) (@hiroyoshimura) 2020年5月28日
③公立4病院でコロナ重症患者の治療の為に一部救急停止を決めたのは、4月7日〜順次段階を追って進めていったが、4月21日のセンター長会議で、受け入れ可能数を算定、大阪全体でのコロナ重症患者の治療と他の救急との受け入れ可能数を総合調整。重症者の救急断り、オーバーフローは起きていないよ。 https://t.co/5ZZ1QQRutE
— 吉村洋文(大阪府知事) (@hiroyoshimura) 2020年5月28日
引用したツイート②では「救急を断る」と延べ、引用したツイート③では「重症者の救急断り」と述べている。これが意図的なものであるかはわからない。吉村知事が「救急断り」を「重症者の救急断り」に限定しているのなら、上述した阪大病院での事例は「重症者の救急断り」ではないため、吉村知事にとっては問題のある事例にはあたらないのかもしれない。しかし、大村知事は単に「救急を断る」と定義しているので、いずれにせよ大村知事の定義のもとでは大阪では医療崩壊が起きていたことになる。ここでも、吉村知事は大村知事の主張を反証したとは言えない。
4. 健全な議論のために
ここまで、大村知事と吉村知事の議論を検討し、議論が噛み合っていない点がいくつかあることを見てきた。その原因は主に、
- 「大村知事の「医療崩壊」の定義が曖昧であること」
(=(1b)の複数の解釈の可能性)
- 「吉村知事の大村知事の「医療崩壊」の定義の確認不足」
(=(1a)に対して反論しなかったこと)
である。「言葉の定義」が曖昧であること、あるいはその定義をきちんと確認しないことは、健全な議論を阻害する。意図的であるかは別にして、噛み合っていない議論が行われている。そのため、両者の主張のうちどちらが妥当であるかを判断することはできない。
さらに、今回の件は「そもそも大村知事の医療崩壊の定義が適切であるか」についても議論する必要がある。大村知事の医療崩壊の定義のもとでは、大阪に医療崩壊が起きていないことは完全には反証されていない。しかし、大村知事の定義そのものが不適切である可能性も残っている。
大阪で医療崩壊が実際に起きていたかは別にして、大村知事の「病院で受け入れ困難だった感染者数や救急件数の全国での検証の必要である」という主張自体は正当なものである。「医療崩壊」というセンセーショナルな言葉に惑わされ、新聞やワイドショーが両者の対立を煽るような報道をし、検証の必要性という最も大事な論点がうやむやになりつつあることが残念でならない。